・北京オリンピックの行方は〜オリンピック・ボイコットの歴史。


北京オリンピックは、一体どうなってしまうんでしょうか?
夏のオリンピクを多くの国々がボイコットをした歴史は、過去に3度あります。
最初の悲しい歴史は、1976年開催のカナダ・モントリオール大会です。
オリンピック・ボイコットの原因となった事件があります。
当時、人種隔離政策(アパルトヘイト)という白人が黒人を支配するという前近代的な制度を導入を続けていた南アフリカ。
その地ににニュージーランドのラグビーチームが遠征した事が発端になりました。
この遠征にアフリカ諸国が異をとなえました。
IOCに対してニュージーランドのモントリオール・オリンピック参加を認めないように訴えました。
しかし、IOCがニュージーランドのオリンピック参加を禁止しませんでした。
この決定を不服としてアフリカの22ヵ国がモンントリオール・オリンピックをボイコットしました。

4年後の1980年のオリンピックとなるロシア(旧ソ連)のモスクワ大会。
1979年旧ソ連は、突如アフガニスタンに侵攻、戦争が勃発。
自由主義と共産主義という、今となっては意味不明のイデオロギーの違いによる戦争、らしい。
これに対して自由主義圏の西側諸国のアメリカが、モスクワ・オリンピックのボイコットを決定。
日本、西ドイツ、韓国がアメリカに追随してボイコットを表明。
日本選手団が涙の記者会見をするハメに・・・。
また、モスクワ・オリンピックに参加した他の西側諸国ですが、フランス、イタリア、オランダなど7カ国は競技には参加したものの入場行進に参加せず、イギリス、ポルトガルなど3カ国は旗手1人だけの入場行進となりました。
また、優勝しても国家の演奏は行われず、そのかわりに五輪賛歌の演奏となりました。

更に、4年後の1984年のアメリカ・ロサンゼルス大会。
前大会の報復処置として、旧ソ連をはじめ共産主義圏である多くの東側諸国がボイコット。
東側諸国の中ではルーマニアが参加しただけである。

全世界が集うのは、4年後の1988年の韓国ソウル大会まで待たなければならなかった。

余りにもビッグ・イベントとなってしまったオリンピック。
政治の駆け引きの道具として利用されるのは仕方のないところです。

果たして、北京オリンピックの行方は、どうなるのでしょうか?





posted by zikki at 23:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 関連情報
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